世間に流されてはいけないけど、変な信念を持つのもダメだという話

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時々ですけど、シャツのボタンを一番上まで留めている人っていますよね、私服で。
あれ何なんでしょうか?

キッチリとした性格なのか、そういう性格であることを演出してるのか。
だって普通は開けるでしょ一番上は。




あれは信念?

例えばそういう人にとっての「普通」が、一番上までボタンを留めることだとしますよ。

じゃあさ、その人から見れば、シャツの一番上のボタンを外している人はおかしく見えるのかい?

そんなことないよね。

だって世間を見渡せば、一番上を外している派の方が断然多いわけだし。

もしかして、世の中の大多数に逆らったとしても決してブレない、価値観を持っている人?

自分の信じた価値観に基づいて行動する、周りに流されない、確固たる信念を持った人?

そういうのはかっこ良いと思いますよ。ブレない「自分」を持ってますからね。

でもだからって、第一ボタンまでビシッと止めることは無いと思いますよ。首の皮もちょっと挟んじゃってるし、どう見ても変でしょ。

流されないことは大事

何も考えずに毎日暮らしていても、情報はどんどんやってきます。

テレビや新聞、雑誌に限らず、ネットでもTwitterでも周囲の人からでも、「これいいよ」「あれ絶対おススメ!」なんて、多くの人がおススメするモノを毎日大量に目にします。

人からおススメされなくても、映画はハリウッド、音楽はJ-POP、スポーツは野球とサッカー、結婚式は南国の楽園、実業家はホリエモン、涙するドラマは主人公の恋人か子供が死ぬ設定、子犬と子猫で癒されて、ボジョレーヌーボー飲んで、なんていう消費をしていけば、人生そこそこ楽しく生きて行けます。

すべて受け身になって、流行のものを受け入れているだけの人ってたくさんいるんですよね。

私がそれを強く思ったのは今から約25年くらい前。紺のブレザー、通称「紺ブレ」が流行ったときです。

高校を卒業してバイトを始めたとき、お客さんの9割が紺のブレザーを着ていました。

「こいつらアホか!?」

って思いましたよ。紺ブレを着ている人が全員「頭空っぽ」に見えてしまったんです。

 

「テンプレート」っていう言葉、ありますよね。どうすればよいかを予め決めてあるフォーマットのことです。

今なら「スタバでMac+ヒゲ+丸メガネ」なんてのはダサイですよね。それはテンプレートだからなんです。

世の中のテンプレートに自分を当てはめて生きるのって楽なんですよ。頭空っぽでいいから。

油断していると、どんどん流されます。流されていることに、自分では気づいていなかったりします。

 

自分で情報を取りに行って、本当に優れたものは何か?本当に自分が面白いと思えるものは何か?

それを探す作業ってのが大事なんだと思います。

その作業をすることで、自分の価値観を培うことができるし、「モノを見る目」というのが養われます。

 

でも、流されることを全否定するわけじゃないんです。

私は20歳くらいの頃、世俗的なものが極端に嫌いだったせいで、学生時代はサークルにも入らず、楽しい思い出を作ることとか全然できませんでした。

だから、時には世の流れに乗って楽しんでもいいんだけど、そればっかりじゃあダメだよねってことです。




外見も大事

やっぱ外見は大事。

別にいいんですよ、人の勝手だから。

でもどんな信念があるのかわからないけど、小太りのおじさんが私服のシャツのボタンを一番上まで留めて苦しそうにしているのは変ですよ。

もうね、それが言いたいだけ。

 




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